少しモラトリアム。。。。笑
9月になりました。まぁ、黙ってても9月に成りますけれど、気が付けばって言葉は妙に当てはまるような。。。。
最近は、全ての休みをカメラに費やしていると散々申していますが、その生活も1年を迎えようとしていまして、「さぁ、これからどうしていこうか??」となっております。というのも、別に今の生活に不満は全く無いのですけれど、『仕事⇨休み(カメラ)⇨仕事⇨休み(カメラ)⇨仕事』って生活を続けてもそれなりに楽しいですが、「なんかねぇ〜〜」ってのが有るんですね。
「仕事も有るし、趣味も有るし、ここにどんな不満が有るの?」って言われたら、「いやぁ〜、これで不満を言ったらダメだよねぇ〜」ってな感じなんですが、もうあと1押し何かが足りない。
私の友達を見てても、『仕事⇨家庭⇨仕事⇨家庭』ってルーティーンを繰り返して居る人がほぼ100%ですけどね。
可も無く不可も無くって生活をしていると『可』を求めたり『不可』を求めたりするのはなんなんでしょうか??
私が以前の仕事から離れて3年余り。一緒に勤めていた人は、現在も勤められているので6〜7年位は経つのかな??
相変わらず同じ仕事内容を繰り返しているようなのですが、それでも月日は経つんですよね。
言ってみれば生活をしていかなければならないから、勤める事を辞める訳にはいかないので、そういう面もあるんだと思います。
幾らルーティーンだったとしても、それが良いのか悪いのかは何時まで経っても結論が出ない問題だと思う。⇦これについては、今までの経験上結論は出ません。
私が海外留学(遊学という人もいると思いますが。。。笑)から帰ってきてもうそろそろ2年が過ぎようとしている。この2年の間で何が大きく変わったかな??
言っても、大げさな事は出来ないので、地道にコツコツやってくしかないよね〜〜。
それにしても、収入を上げたいわぁ〜〜。
カメラのメンテナンスと思う事
今日は仕事が休みだったので、カメラの清掃点検と街をぶらぶらしてきました。
朝から晴れていて、「あ〜、こんな日はカメラ日和だなぁ〜」とは思っていたものの、カメラの清掃をそろそろしたかったので、サービスセンターへ。
結構使っていると思っていたのですが、シャッター回数は39000回以下と、意外に少なかった。
かなり丁重に扱っているとは思っているので、程度は良いと思うのですが、精密機械系は急に不具合が起きる事も有るので、簡易清掃だけは小まめにしたいところ。
数ヶ月前にレンズのメンテナンスは行っているので、レンズに関しては行っていませんが、持っているレンズのメンテナンスも行うと、結構な金額になるんですよね。。。。orz
仕方が無いのは承知の上ですけれど、点検代って高いと思う。
製品も高いのであれば、それに伴ってメンテナンス代も高いのは世間一般の常識でしょうけれど、新品が買える値段くらいの話をされる事も有るので、メンテナンスの度に「なんとか安くならんのかなぁ〜」なんて考えてしまう。
カメラに関しても一眼レフを扱い始めてから1年を過ぎようとしています。
ベテランの方と比べると『未だ1年』って感じでしょうけれど、振り返れば「仕事の休みの時には殆どカメラを抱えて外出してたよなぁ〜」って感じです。
カメラの勉強をしていて最近強く感じるのが、『プリント』をしたいって事。
昔はシャッターを切って、写真屋さんで「現像お願いします」と言って出来上がってきた写真を「こんな所行ってきたんですよ〜」なんて証拠写真程度でも満足していました。しかし、今はパソコンが有ってプリントの質が良い物を見すぎたのか、単純に写真店で印刷を掛けるだけでは満足出来なく成ってきました。
写真店でもクオリティーが高いモノが得れるのですが、以前このブログでも書いたように「う〜ん、この色調と違うんだよなぁ〜」ってものを量産し過ぎた為に色に拘りが強くなりました。
今日も、家電量販店で写真用プリンターを物色。
流石に「なんだか、ここまで行くと写真で仕事するレベルだよねぇ〜」なんて気がしています。
個人の趣味で持つには勿体無い!?
しかし、今まで撮り溜めた写真をそろそろ写真の展覧会や誌上コンテストなんかに出していきたいと思う様になりました。
良く言われる事ですが、『写真はプリントをして最終です』と言う意味が写真展を見ていくうちに分かる様に成ってきました。
今はSNSの時代で、プリントしなくてもみんなに見てもらえますけれど、プリントを行って写真に魂を込めると言うのは写真家やフォトグラファーとしてはしなければならない行為だと感じます。
コンテスト用の撮り方と、そうではない撮り方が存在する事も何となく知る様になりました。
カメラ雑誌には殆どの雑誌でコンテストの結果が有ります。
それを見ていると、入選者の作品には何かの意図が隠されているのが殆ど(意図して撮って無かったとしても、結果的にその様に受け止めれる)。
落選、入選まであと一歩という方々の作品を見ると「まぁ〜、確かにこの部分を省略したら作品として完成してたよね。」とか、(プリントの質感は分からないけれど)「現像⇨プリントが確り出来ていれば入選した」とか書かれていると非常に参考に成る。
カメラの世界は奥深い。
自己表現が出来るから、非常に引き込まれる。
自分が今まで取り組んで来た興味が有る分野の中で唯一、『仕事に結び付きそうな予感』がするが、「相当厳しい世界だろうな。。。。」という予感もかなりする。
カメラの世界に入った者としてはまだまだ初心者レベルなので、これからもっと勉強していきたいですね。
今年も残りがカウント出来る月数だ〜(汗)
最近は全ての休日を写真に当てているが、ふと振り返ると写真に注ぎ込んでいる金額は結構な額になっている。。。(笑)
今年も残り4ヶ月程しかなく、気が早いけど来年の予定も考えている人は考えている筈。
日々忙しく過ごしていると、生活に必死で、我に帰る事が無くなってしまうが、休息を取ったら分かる事も多くなる。
写真の撮影をしていると、写真って本当にそれだけをしていかないとダメな感じがすると思う。年間365日有るけれど、太陽高度って日々違うので、「夏は夏の、冬は冬の光線が入るから、同じ場所でも全く同じに成るか?」というとそういう訳じゃない。
どんな仕事でも同じ事が言えますが、写真を仕事にする事ってのも大変な分野に足を踏み入れる事。
しかし、一度決めたらもう後戻りは出来ない年齢に達しているので、この分野で腹を括るのであればなんとしても食らいつくしかない。
今年はまだ残り4ヶ月有りますが、8ヶ月間写真を撮ってきて「コレを撮って行きたいな〜」ってのは、一つは『飛行機』で、もう3つは『花火』『花』『自然風景』が今のところ出ている結論。
自分の中では台湾に拠点を置いて撮影をしていきたいのだが、台湾に拠点を置くならば『人間風景』を撮って行きたい。
残りの4ヶ月で再加速して撮影を行いますけれど、最近はカメラを覗いてファインダーの中でちゃんと設定を瞬時に考えられる様に成ってきた。
雑誌にも書いてあったが、「みんながカメラマンの時代に成ったので、プロカメラマンと名乗るには一般人が着目しない視点を切り取る必要がある」と。
私はまだまだ勉強中の身だが、そういう視点を鍛えるのには継続して行く事も重要な要素だと思う。
現在、写真家として生計を立てている方とご一緒させて貰う機会が有るが、同じフィールドに行っても「え〜、こういう点を見るのかぁ〜」って感心しきり。
フォトコンの写真でも評論を見ていると「在り来たりの場所で、在り来たりの撮影を行った写真は確かに綺麗だが、それ以上は無い」と。
写真を撮るときって、「あっ、綺麗!!」「えっ、これ何!?」ってのでシャッターを押すのであるけれど、そのシチュエーションに自分が居るから情報として簡単に脳内には入ってくるが、第三者が見たときに『同じ感動が写真から伝わるか?」となるとそこは技量なのかな??
写真を始めた時よりは意識的に頭で描いた絵が作れる様に成ってきたが、まだまだ検証が必要な部分も多いので、気合入れて頑張ります。
カード申請からふと感じた事
世間はお盆休みです。
その中で仕事をしている人も大勢おられますが、仕事をしている方が居られないと世間は回りません(笑)
最近、ふと思って、『クレジットカードの申請用紙』をまたまた取り寄せました。
クレジットカードって、日本では使う人が本当に少なくて、海外と比べると「日本は本当に現金社会だなぁ〜」って感じます。
クレジットカード利用を推奨する訳では無いですが、非常に便利な物だと思うんですよね。ですが、使う人は少ない。
「何故なのか?」と思う訳ですが、一つの理由として「後日にお金が引き落とされる位ならば、今払った方が良いでしょ」っていう理論が結構な数なんですね。
そりゃぁ、使ったら引き落とされる訳ですから、今払うか、後で払うかの違いです。
カード払いはお店側にも手数料が発生する訳で、未だにその手数料負担を嫌って『うちは現金払いで』と言われている店舗も多数。
クレジットカードはお金のやり取りにタイムラグが発生するので、現金で回されている店舗にとっては嬉しい話しでは無いのも事実でしょう。
しかし、一度海外へ出るとクレジットカード社会なわけです。
特に欧米社会やその流れを組むところでは。
良く言われる話しですが、クレジットカードを見て人の判断を下す店舗やホテルも有ると聞きます。クレジットカードってのは、海外ではパスポートの次に有効な身分証明書とも成り得る事も有る訳で、持てるので有れば持った方が良い。
クレジットカードの事を調べていくと、身分証代わりに成るとか収入によって持てるカードが選別されるとかを知っていく訳で、「それならば気軽に持てないカードを持ちたい」と思うのが人間の欲かもしれません。
今回、取り寄せた資料を拝見していると、「うーむ、中々ハードルの高そうなカードだなぁ〜」って思うのですが、なんとかゲットしたいとも思う訳なんですね〜。
ゲットしたとしても、使わないと恩恵が無い訳で、気軽に持てないカードってのは年収も一定基準以上無ければメリットが無かったりします。
で、結局は『年収』。。。笑
今、勤労者の平均年収は450万とかその前後の話しを言われていますけど、高所得者と平均所得者、低所得者の平均ですから、一般的には300万円前後なんでしょうか?
日本の生活物価って安くは成っていないですから、本来は給与を統計平均レベルまで上げないと経済が良くは成らないと思うんですね。
しかしながら、昔のようなバブリー時代では無いですから、来年には基本給がアップし、賞与も5ヶ月分なんて会社は存在しても数が少ない。
ですが、皆さん本当に色々な事をされている人が多いですね。
そういう世の中に成ってきた、そういう事も出来る社会に成ってきたって事でしょうか?
単に『クレジットカードの申請』だけを行った訳ですが、たまにこう言うものを行うと今の現状を冷静に見つめるキッカケ作りが出来ます。
昔は物が足りない時代だったから、物を販売していけば良かった時代。それが終わって今度は知識を切り売りする時代に成ってきた。その知識を切り売りする時代もそろそろ終わりかもしれません。
次に何が来るのか??
次に来るのは各個人個人の『個性』かな??
『個性』に対しての価値を決めるのは値段の付けようの無い事かもしれない。
ですが、その人に対して求める物が多ければそれだけ対価が払われる時代に成るのか??『個性への価値』って難しいですけれど、逆に各一人一人が持っているモノ。
それをビジネスにすれば結果は後から付いてくる??
写真の活動
夏が近いですね〜。
「気が付けば1年が過ぎて。。。」って事が巷では言われますけれど、毎日の生活ではそんな気は無いですよね。
梅雨に入って明けるまでの1ヶ月間は鬱陶しい日々と思われがちですが、写真を撮るのには良い条件が揃ったりします。
年間の日数の中で、雨が降る日って晴れの日よりは少ないです。
機材を持って外に出ることは確かに面倒なのですが、現場に出ると「わ〜、こんなのも撮れるわ〜」ってのが一杯有ったりします。
撮影をしていて、今まで被写体を選ばずに、撮れる範囲内で撮影をしてきました。
目標としては今年中に撮っていくものを決めるのですが、「正直どの様に決めたら良いのか??」が判断付きかねます。
自分の活動したい場所(土地)は決めているのですけど、それではあまりにも範囲が広すぎる。
『飛行機、風景、鉄道、ポートレート、花、鳥、祭り、夜景、星等』
スナップ写真は殆ど撮って無いですが、この幅広い被写体物の中から個人的に撮って行くテーマ作りをしないといけません。
『何故テーマを決めなければ成らないのか?』と言いますと、あれもこれも撮れないからなんですね。
例えば山岳写真を撮る為に行動していたとします。
その瞬間に他の題材で素晴らしい光景や事象が有ったとしても、狙いは山岳写真ですから、その他の部分は捨てないといけません。(予備的に撮っといた方が良いけれど。。。)
写真は引き算と良く言われますが、実際に写真を撮っているとその事が良く分かります。一枚の絵の中に見せたい、撮りたい物を入れ込むのですが、全て入れてしまうと散漫になってしまって何が言いたいのかが分からなくなるんですね。
人間の目は脳と繋がっているので、視界に入ってきてたとしてもカットスイッチが働いて見ない様に為る事も可能なんです。
しかし、カメラはそういう事が出来ないので、全て写し込んでしまう。
それが写真を見る方にとっては散漫なモノに。
つい先日の新聞にコンテストの受賞作品が載っていましたが、その中で「有名な観光地で撮られた決まり切ったものは全て落とした」と有りました。
私はまだ有名な観光地での写真を撮りたいと思いますが、写真ってそれも良いけれどそれだけじゃないんでしょうね。有名な観光地で撮った写真は綺麗、素晴らしいと映るのは当然なのでしょうが、それだけが写真じゃない。
日々の生活の中にも良いポイントが至る所に転がっている。
今はそういうものを求められている時代なのかもしれません。実際にまだまだ題材として難しい撮影地や被写体の撮影は撮って然るべき対象物ですけれどね。
これからの時期は花火大会が始まり、海を題材にした撮影がされると思います。
写真の世界は芸術の領域と事実を伝えるという部分等、今の時代は数十年前と比べて飛躍的に変化している。
何万枚もの写真が撮られている現代だからこそ、1枚の価値を認める社会になってきたと思います。中々渾身の1枚は撮れませんけれど、そういう1枚に出会うべく、写真の活動は続けて行かなくては。
ダブルは無理か??
先日、『いよいよ、これかなぁ〜』って思っていた事を、そろそろ実行に移そうかとしていました。しかし、もう一度再考しようと思い、相談。
そうすると、「まぁ〜、確かに!!」って内容の返事が。
アドバイスとしては
『そんな簡単ではないよ。』って事。
イメージとしては、『それをしつつ違う事を』という感じだったのですが、そんな甘いモノではないって話し。
「確かになぁ〜」って納得はする。
この職業その道何十年って人が言うので、間違いでは無いだろうし、実際に自分も言われてみればそう思う。一人一人の時間は24時間しかなくて、仕事を100%の力でやっていくとすると、残り時間は殆どない。
仕事が終わって翌日の仕事に向かう際に、別件を片付けてから向かおうとすると、寝る時間を削るか、食事を削るかしないと時間なんて生まれない。
『そうなればどうするか??』ですが、「考えていたことのどちらかに絞るしか無いのかな??」という結論にしかならん!!
「まじかぁ〜」って思うけど、そうでもしない限り形には成らないんだろね。
経験上、苦労無くしてその先は無い事は知り得たし、逆に経験に勝るモノは無い。
だが、徐々にタイムリミットも近づいて来ている事も疑い様の無い事実。
冗談は抜きで、腹を括るしか無いのかもしれない。
「何、今更甘えた事を言ってるんかね。。。。」って言われそうですが、確かに同年代でご家庭を持たれている人達はある年齢で腹を括られたんでしょうね〜〜
『そうかも』とか、『たられば』とかは話しても話してもキリが無い話しに成るので、発展的では無いし、考えている暇が有れば行動した方が良いと思います。
とは言っても、『言うのは易し、行動は難し』で一歩が結論付け難い。
再度、考えないと。。。。汗
とうとう出て来たか!?
ブログを書きたいけれど、なかなか時間が取れません。。。
写真を撮りにあちこち行っています。
「行き過ぎじゃないか??」と思うのですけど、積極的に出ないと家に居ても面白くないので出るようにしています。
先日はまたまた台灣へ撮影に。
今年初めての台灣への渡台でした。
仕事の都合で、多くの時間を貰う事は出来ないので、弾丸ツアーです。
今まで何度も台灣へ行っていますけれど、今回の旅は個人的に収穫が有った様に感じました。なんとなくですが、「これからの方向性が定まったかも??」と思えたんですね。
台灣ではいつも生活をしていた生活圏に戻ってきましたけれど、「あのおばさん、まだ働いているんだね〜」というのを確認出来たり、「あのお店何処に行った??」というのも見たりして来ました。
台灣は店舗や人の入れ替わりが非常に激しく、数年前と今とではガラッと変わってしまう部分も多いです。
私が台灣を離台してから2年余りが過ぎてますけど、変わらない風景を見ると少し安心もします。人間って変わらなさすぎるのも問題ですが、変わりすぎるのもこれまた付いていけない人種だと思うんですよね。
今回感じた方向性ですが、自身としては「コレで10年、20年位やっていきたいなぁ〜」と思っております。
何故ならば、過去に毎月渡台していた時期もありました。
毎週の様に全国彼方此方に行っていた時期もありました。
そういう生活をしていると全く自分自身として落ち着かないんですよね。。。。笑
落ち着いてしまうとそれはそれで「なんだかなぁ〜」なんて思い出すのですが、それが両立出来そうなのが今回感じた方向性。
年齢も年齢なので、遊びではダメです。
「再度チャレンジ」と言ってチャレンジをして「やっぱ失敗やったわー」ってのも既に「アウトだ!」と感じます。
慎重に判断を下さないといけませんが、可能性が少しでも有るのであれば向かう方が良い様な気がしています。
でも、今度は本当に失敗は許されません。それぐらいの気合いじゃないともうアウト判定しか出ない様な気がしています。
今までの判断も失敗だとは感じていませんが、特に一番に感じるのが『自分で生活をしていけるか否か』だと思うんですよね。
(今までやってきた事柄を仮に継続していたとしても、一人暮らしが出来ているとは思えません。。。)
台灣留学中に非常に感じたのは、留学はお金が掛かるって事。(当たり前じゃないか!!と言われそうですが。。。笑)
生活をしていくにも少しのお金は必要です。
何も贅沢をしようとは思わなくても、一文無しでは生活が出来ません。
異国の地で働くのは、楽な様に見えて難しいです。
海外で生活をしている友人も居ます。当たり前ですが、給与は何らかの形で作って、日々の生活を営んでいるんですよね。
そういう事を今回感じた方向性に託してみたいと。
今回のインスピレーションは本当に最後の選択に成りそうな予感。。。