昨日の写真の記事から感じた事。
昨日、新聞にもインターネットのニュースにも載っておりましたが、『オホーツクの四季写真展コンテスト』で最優秀賞を取った『クジラの上に乗ってポーズを取った作品』が、批判を浴びて賞を取り消した事に関して考えてみたいと思います。
物事には常に二面性が有ると考えております。
『クジラの死骸の上に乗ってポーズをとる』
題名が『制服』
その他、色々着眼点は有ります。
クジラの死骸の上に乗ってポーズをとる事は是か非か?
死者を葬ると言う観点から見ると、死骸の上に乗る事は『否』でしょう。丁重に葬る事が必要です。
しかし、題名に有る様に『生物界の頂点に人間が居る』(賛否両論有ると思います)と考えると、「凄く怖い構図ですが、死骸の上に立った事は有り得るか。。。」と考える事が出来ます。
『制服』の題目について
この題目は先程の話しの様に「生物界の頂点に立っている」という視点から見るならこの様な題目になるでしょう。
しかし、この作品が別の名前を付けられて発表されていたらどうでしょうか?
『意志継ぐ』『生命の継承』の様に成っていればクジラの生を受けて生きて行く事を伝える写真に成り得たのではないか?
(クジラの上に乗ったとしても、私は違うポーズにしますが。。。)
報道写真家等、戦地での撮影を行ったカメラマンは時に猛烈な批判を浴びる事があります。そういった写真も二つの捉え方が出来ると考えています。
「貴方は戦地まで行っていて、目の前に倒れた人間が居るのに呑気に写真を撮っているのか?」「報道をするより先に現地の方に対してする事が有るでしょう!!」と言うもの。
「そうは言っても、現実を伝えないと誰が伝えるのか?」「安心安全な国で発言している貴方に、現地の事情が文章だけで分かるのですか?」等。
今回のこの作品も猛烈な批判がニュースには上がっておりますが、これだけの議論を起こした作品という事はそれだけ訴える力が強いとも捉えられます。
私も美しい写真を撮って多くの方に見て欲しいと思う。台湾や日本、全世界の方に訴えかける写真を撮りたいと。
写真には単純に『綺麗ですね〜』というモノと、『何かを伝える、訴える』というモノが有ると思います。
写真を撮っている者として、目を背けたい場面は撮りたくないし、レンズを向けたくはない。ですが、『伝える。訴える』という観点に立つと、そういう場面で有ってもシャッターを切らねばならない。
(私には未だその技量が有りません・・・)
私達が生活をして行く上に置いて、動植物からエネルギーを得て生活をして行く必要が有る。日本人の私達はクジラからも生命力を分けて貰ってここまで生活をしてきた。
今回の撮影者がどの様な意図と意志でこの構図の撮影に挑んだのかはニュースの記事でしか窺い知れない。
この写真は賞を受ける受けないに関わらず、「クジラが可哀想。自然の冒瀆だ」とか言うモノでは無く、「私達にとってクジラ等の生物と共存。生態系の中での人間とは」という様な事を考えても良いのではないだろうか?
私達は、人間として生命維持の為に牛や豚、鶏、魚を殺し、農作物を採取し、植物から生命を受けて80年や90年の時を過ごす。
綺麗なモノだけでは無く、この世界には汚い事も当然有る。
写真をする者として、今回のニュースは考えさせられた記事でした。
夕日が雲に当たって。2016.3.11撮影