hisa日記

日本と台湾とのお手伝いを自分らしさを発揮してブログを通し、発信していけたらと思います。

何故、海外の方が日本より成長している様に見えるのか?

日本の高度成長期の時代、『今日よりも明日、明日よりも明後日』と言う様に目に見えて右肩上がりで一般庶民もそれを日に日に体感出来た時代と聞いている。

今の日本は『実質0成長』と言われている様に目に見えての成長実感が殆ど無いと。

逆に海外は「今日より明日は何が起こるか分からない」と言う様な日本が1980年代に体験したことを『今まさに』起こしている。

 

海外に出て来たら本当にそう言った思いは『みんな持っている』と感じる。

じゃあ、「本当に日本は経済成長していないのか??」と言われたら見えないだけで、決して同じ位置に留まっている事は無い。周りの国が凄い勢いで成長しているので、相対的に止まっているか、下降していると見られているだけだと。

 

海外の生活をしていて、海外の方は『物欲』というのもモノ凄い。特にアジア圏。

物欲というモノを日本では『断捨離』という言葉でかき消した話が有りました。確かに、「以前はモノを持ち過ぎだった」と過去を反省したらそう思います。

ですが、「その勢いが有ったから凄い勢いで経済発展したのでは?」と感じずには要られません。

 

モノやサービスを消費する。スーパーから食料を買ってきて家で家族分だけを作って家族で食べる。普段使う生活用品だけを購入して生活する。

極当たり前の生活だけをしていて、無駄が無い生活を送っていたとします。

ですけど、そこには0だったモノを1にした事実が有ります。(食べたと言う事実や使っていると言う事実)

そうすると、微々たる影響力であったとしても経済成長を促している事になっているんだと。海外では0だったモノを1にするのは無く、1.5や2にしているんです。

みんながやるから、そりゃ大変な事に成る訳ですよ。。。笑

(大量消費が良いと言っている訳では有りません。)

 

日本では『車の無い生活』というのが幅を利かせてきていると思います。

私も日本で生活をしていた時は「車なんか買って、購入代金、維持費その他諸々が掛かるから、レンタカーで良いやん。タクシーで良いやん。車持っても、今の生活から大替わりはしないでしょう。。。」なんて思っていました。

でも、それは間違いですね。

車を持って、ガレージに駐めておくだけなら持たない生活を続けたほうが良いでしょう。でも、そういう人は先ず居ません。

車というモノを手にする事で、行動範囲が広くなります。知らない場所、今まで出会う事のなかった人、車を手にしなかったら出来なかった体験、そういう事の可能性が広がります。当然『事故』というリスクも発生します。

それを差し置いても、「車を持つ、モノを持つ事に対する明日への欲求に計り知れない可能性が有る事を海外の方は凄く理解されているなぁ〜」と住んでいて思います。

電卓を弾くだけでは見えないものへの期待。計算上では決して現れないモノですね。

 

車だけではなく、家電でも同じ事。今まで使っていた家電を買い換える事で、快適に過ごせる様に成るのであればそれは必要なモノの購入。

家事の負担が軽減され、その無くなった負担分を自分の時間に使えるのであれば家電への投資では無く、回り回って自分への投資になると思う。

 

スーパーで買う食料品でも、消費者は有る農家さんの農作物を飛ぶ様に買っていたとします。

同じ商品を作っている農家さんが、「アレっ、私の作った作物が思う様に売れない。。。。何故だろう?」とそこで頭を捻って改良を加えます。

そうする事で売れる様に成ったとする。これは明らかに経済成長だと思います。

 

旅行等も同じで、『行った事のない場所へ行く』と言う事は、『自分からアクションを起こして可能性への期待を求めている』と言う事に繋がるんだと感じます。

「旅行しても、しなくても同じじゃない?お金を使うだけでしょ。。。」という意見も有るでしょう、確かにお金は使いますけれど、行くか行かないかでは結果は同じには成りませんよね。行った後と、行かなかった後では、行かなかった後のイメージは想像出来ますけれど、行った後のイメージは想像出来ません。

 

 

日本人にも『今日より明日、明日より明後日』と言う気持ちは持っていると思うし、無くなっては居ないと感じる。

だけど、海外の人のパワーの方が強すぎるのでかき消されてしまっている。

本当に海外の方は『物』であれば、「この物を買った時から私達の生活は変わる」と言う期待を凄く持っているし、サービスでも、「このサービスを受けれる事で、明日の我が身は少し変わる」と思っているし、そう考えている様に感じる。

 

『物』に囲まれる生活と言うのは、「これ以上要らない」とは確かに思う。

 

ただ、生活していく上で1950年〜1980年代の頃に必要だったモノと、現代社会で求められているモノは違うし、それを無くしては『生活と言う事自体厳しくなる』と感じる。

例えば今は国境の垣根が無くなりつつ有ります。その中で「私は携帯電話もパソコンも持たないですよ。連絡していただけるのであれば手紙か電話でお願いします」なんて言っていたら時代錯誤も良いとこですね。

 

確かに大量の物に囲まれる時代は日本では終了したかもしれません。ですが、海外で暮らしている日本人として思うのは、『日本人には次のステージが求められているのだ』と感じます。

 

その答えは『徐々に出て来ている』と思います。