働く意義とは
「人って何で働くのか?」と考えた時、自分自身を社会から認めて貰いたいからと考えた。
お金を貰うことは労働に対する副産物でしかないと思った。お金を貰うことを目的とするならば極端な話し仕事は何でも良くなると思う。
しかし、そこに自分の労働が社会的に必要とされ結果認められるならば、例え対価が低くても労働の意味が出てくるのではないか?
「対価が低くても」と言っても生活が出来ないレベルとかの意味とは異なる。
非正規労働を僕自身も一時的にしたことが有る。その時の理屈は「取りあえず働けば単純労働だから時間をお金に換えれる」と思った安易な考えでだった。
その時思ったのは「技術の継承や労働意欲の低下、そして使用者と労働者お互いの労働に対する意識の低下」が起こってると思った。また自分自身にも「この仕事では何も身に付かない」と思った。
パート・アルバイトに対しても様々な意見が有るので難しい。
同じ会社でも、正社員とパート・アルバイトは責任も違うし全く別物と言われてる。が、「高度経済成長期みたいに良くも悪くも1つの会社に入って定年まで」と言う時代ではなくなったので「直接雇用の関係に有るアルバイト・パートで様々な職を経験するならば今の時代有りなんではないか?」と思う。
そこには将来何らかの仕事に就くための過程と言うのが大前提で、使用者にしても労働者にしても「一生涯その立場で暮らす」と考えることは駄目だ。
今、「何の為に・何で仕事をするのか?」を考えた時、「ボャ〜とだが見えてきた物が有る」と思う。
「今年中に結果がでるかな?」他力じゃなく自分で見つけたい。