モノに対する考え方が変化してきました
日本に居た時はあまり考えて無かったのですが、異国の地に住む様になって身の回りの『物』について考える様になりました。日本から移る時に、とりあえず数年間使って無かった物品は処分をし、家族には「邪魔だな…」と言われないようにしてきたつもりです。
こちらに住む様になって感じるのが、寝具、調理器具、家電、生活雑貨、交通手段(車、自転車)、衣服等諸々の事。
というのも、私は1年の期限付きだから一から十まで全て揃える訳にはいきません。「今の生活でも十分に衣食住が出来てますから大丈夫だ」と言えば大丈夫です。しかし、これが2年、3年と続くとなると話しは変わってきます。
例えば『寝具』。
毎日寝ますから春夏秋冬に対応し、疲れがきっちり取れて快適に熟睡出来る物を求めたいですね。高い安いは関係無く、『自分の身体に合うものを購入したい』と思いますが、そういった要望も期限付きの滞在だと思う様にはいきません。
また一つの例ですが、私は日本に居た時にある携帯電話機種を使っていました。しかし、その機種は買った時からバッテリーが2時間しか持ちません。何度か販売店に掛け合いましたが、どうもハズレの機種だった様で駄目でした。私は3年近く予備バッテリーを常に携帯しながら使いましたが、渡航後に購入した携帯電話機種に驚きの連続でした。
バッテリーはインターネット等を滅茶苦茶使わない限り、丸2日間は余裕で持つし、カメラの性能や、野外での画面も見やすい。以前の癖から予備バッテリーを持ち歩きますが、未だかつてそこから充電をする機会は無し。
その時に感じたのは、「日本に居た時に使っていた携帯電話に掛かった時間とストレスを返してくれ」と。
逆に掛け合って『うんともすんとも』ならば、仕方ないですが新しい機種を買うべきだったのでしょうね。
この様な事から、天秤に掛けた際に、その物を買った後の生活が劇的に変化するならば「その物は必要な物なんだ」と思うこと。見極めは簡単では無いですし、高い買い物(車とか家とか)も当然あります。
日本では、『一軒家か賃貸か?』みたいな議論もされてますし、『レンタカーか自家用車か?、車は使わないか?』みたいな議論もあります。
どちらの話にも一票有りますから、「間違ってる、合ってる」とは言い切れません。ですが、人間みんな24時間の時間しか与えられてなく、人生80年・90年と言われる時代でも20代と60代では身体が全然違います。そうなれば『如何に快適に人生を過ごして行くか?』。それが物によって変わるならば、自分としてはそれに対して掛けるお金は必要なモノなんだと感じます。